さよなら西鉄北九州線
(乗車日:2000年11月21日)
西鉄北九州線がなくなる。最盛期は既に追憶の彼方であったが、辛うじて小倉や戸畑を走っていた頃は守備範囲内である。
最盛期の西鉄北九州線・路線図
戸畑───┐
│ │
│ │
折尾─黒崎駅前─中央町──大門─平和通─砂津───門司
│
│
│
北方
しかし、平和通(小倉)−北方間や門司−砂津(小倉)間、大門(小倉)−戸畑−中央町間が消え、砂津−黒崎駅前間が消え、最後に残った黒崎駅前−折尾間は全線専用軌道で、往時の路面電車を偲ばせるものは車輌しかなかった。その車輌も、往時の重厚な塗装の車は既に無く、残っていたのは冷房改造され、派手な厚化粧の車輌のみ。しかし、JR九州陣の原駅(黒崎−折尾間)開業により、その最後の軌道電車たちも姿を消すことになった。
「北九州線の廃止はいつだったかな」
インターネットの西鉄HPにアクセスしてみると、それはなんと11月25日。もうあまり日数がない。幸いにも21日・24日と公休日で、どちらかに乗りに行くことにした。いよいよ廃止の前日ではなんだし、結局21日に乗ることにしてコースを考える。北九州線に乗るならついでに筑豊電鉄にも乗りたい。そうすると、直方に車を置いて、筑鉄−西鉄北九州線−JR筑豊本線と乗車するのがベストであろう。かくして、プランが決定した。路線の性格上、時刻表は気にせず来た電車に乗るということで、事前の時刻表調査はしなかった。
21日朝、普段と同じ時間に起きたものの、ネットにアクセスしたのが運の尽き。結局家を出たのは9時前だった。八女インターから九州道に乗り、一路北へ。特に支障もなく、若宮インターで九州道を降り、一般道で直方へ。どこにクルマを駐車しようかと思ったが、直方駅に程近い神社の駐車場に止める。これが10時頃。
そこから歩いてJR直方駅前にある西鉄バス直方バスセンターへ。バスで筑豊直方へ移動しようと思っていたのだが、2〜3ある筑豊直方(筑鉄の直方駅)への路線の待ち時間はいずれも15〜20分。ここから筑豊直方へは1キロなく、歩いても20分弱で着くので歩くことにした。久々の直方駅前であるが、小さい頃の記憶にあった賑やかな町並みは寂れ、シャッター銀座になってしまっていた。直方市も、北九州市と接する辺りやバイパス沿いなどは賑やかで、団地も少なからずあるのだが、中心部は完全に寂れ果てている。産炭地の成れの果てである。途中、銀行と郵便局に寄るも、約18分で筑豊直方駅に到着した。
筑豊直方駅は、高架橋が途切れた形をしている。これは、筑豊電鉄がかつて福岡まで路線計画を持っていた名残である。しかし、直方まで開通した後は延長されることもなく、今に至っている。筑豊の炭坑が次々と閉山し、二大100万都市と筑豊を結ぶという構想そのものが意味を失ってしまったからである。
そんなことを考えながら高架橋を見上げると、今まさに電車が到着するところであった。これが折り返し、黒崎駅前行きとなる。階段を上ると、発券窓口は閉まっており、傍らに整理券発行機が設置されている。後で知ったが、仮に窓口が開いていても(筑豊直方駅窓口は毎週月・水・金営業)、回数券と定期券しか扱っておらず普通の乗車券は存在しないのであった(車内には車掌もいるが、これも回数券の販売と両替しかしない)。早速整理券を取り、車内へ。写真を撮ろうかと思ったが、そんな時間はなく、運転士が運転台を移動して程なく発車した。
車輌は3000系2両連接車の3001編成。筑鉄初の新造車(アルナ工機製)で、外観では正面の大きな1枚窓と屋根上のZパンタ、白地にストライプの軽快な塗装が特徴である。車内では運転台仕切りの上部に設置されたTVモニターが特徴で、これで次駅(次電停)案内をする。次駅案内の合間には沿線企業のCMや、ガイド映像なども流れる。このほかに筑鉄には2000系3両連接車(元西鉄福岡線の1000系2両連接車改造)、2100系2両連接車(元西鉄北九州線の1000系2両連接車)が存在する。外観上では2000系が黄色に赤帯(西鉄大牟田線2000系と同様の配色)、2100系がえんじ色にクリーム帯(西鉄北九州線非冷房車と同色)である。
3000系は田圃の中、団地の横を抜け、走る。速度はいいとこ55キロしか出ていないのだが、車輌が路面電車であるせいか、揺れる揺れる。先頭に座っていたこともあり、結構スリルを味わうことができる。車窓は直方からしばらくは田園地帯だが、中間(なかま)あたりからは住宅地となる。この辺りからは北九州市のベッドタウンなのである。電停ごとに乗客の数が増えていく。
楠橋で乗務員交代がある。運転士・車掌ともに入れ替わる。楠橋には車庫があるが、なぜか西鉄北九州線の電車が1両いた。筑鉄は最初、西鉄北九州線の熊西からここ楠橋までが開業し、その後直方まで延長されたのである。確か筑鉄の本社も楠橋だったはずだ。
楠橋・中間・穴生(あのう)と走り、熊西で西鉄北九州線と合流。終点の黒崎駅前には11時前に着いた。所要時間は約30分であった。
黒崎駅前電停はビルの1階で、いわば穴蔵の中にあるようなものである。以前は単なる普通の終点だったのだが、黒崎駅前再開発事業により今の姿となっている。なお、黒崎駅前−熊西間は筑豊電鉄が残るため、今回の廃止区間は厳密に言うと熊西−折尾間ということになる。つまり、黒崎駅前−熊西間は西鉄が第3種鉄道事業者という形になり、筑鉄に鉄道施設を貸し出す形となる。まあ、いわば神戸高速鉄道のような存在になるわけである。
北九州線の時刻表を見ると、次は11時04分発。今日はなかなかタイミングがいい。そう考えていると、もう西鉄の電車が入ってきた。折尾からの電車で、折り返し折尾行きとなる600系電車646号(1両編成)。写真を撮るが、ホームが狭いのと、穴蔵状態で暗いのとで、数枚にとどめる。
残りは折尾到着後に撮ることにして、乗り込む。発車時間まではもう少しあるので、車内を撮る。車内を見回すとカメラ(写真・ビデオ)を持った者もちらほら。無論、自分もその一員なのであるが。
隣にいた筑鉄の3001が発車する。線路の先を見ると、既に次の電車が見えた。時計が11時04分をまわり、こちらも発車した。
黒崎のあたりは線路のすぐ脇まで道路があったり建物があったりでスペースがないため、カメラ片手の人々は電停にしかいない。熊西では、電停発車後、筑鉄との分岐点にて一旦停車。ここは、筑鉄側が定位であり、西鉄北九州線は手前で一旦停車して進路を確保しなければならない。なお、これは折尾行きの場合であり、黒崎駅前行きはスプリングポイントであるため信号機の切り替えのみとなっている。
この先は沿線も枯れ野であり、三脚を立てた人もちらほらといる。驚いたことには、その中に少なからず女性(しかも中年以上)が一眼レフを持って立っていたことだ。まあ、廃止直前という特殊事情があるとはいえ、中年女性が一眼レフで電車を撮っているという光景は見慣れず、新鮮であった。
枯れ野の横にはJRの線路も走っていて、811系や813系といったJR九州自慢のコミューターがひっきりなしに走って行く。
皇后崎以降は駅間も長く、飛ばす。飛ばすので、揺れる。筑鉄も飛ばしたが、こちらも結構なものである。陣の原電停の少し手前、JRの旧東折尾貨物駅には今回の新駅、陣の原駅ができていた。
約10分で折尾着。電車の折り返しの時間の間、写真を撮る。車輌全体や、台車、プレートなど、存分にとは言えないが、幾ばくかの写真を撮り、自らの目にも焼き付けるように、眺める。もう、二度と乗ることはできない、西鉄の路面電車の最後の姿を。そして、電車は客を乗せ、発車していった。
折尾駅の発券窓口には定期券を買う人の列ができていた。別に、電車のというわけではなく、西鉄バスの定期券なのであった。窓口の横にあったスタンプを押してから、列に並ぶ。さよなら北九州線記念よかネットカードを買うためである。よかネットカードとは、西鉄大牟田線、西鉄バス、福岡市営地下鉄の共通プリペイドカードである。販売額1000円、額面1000円で図柄が2種類あったので、各々1枚づつ買う。
階段を下り、駅前に出る。正面にはJR折尾駅。開業以来のレトロな駅舎がどっしりと構えている。西鉄折尾駅のある建物の1階には本屋があったので、時刻表をめくる。次の筑豊本線は11時41分の博多行。あと7分くらいである。ちょうどいいので、本屋を出て折尾駅に向かう。とは言っても正面のレトロ駅舎ではなく、西鉄折尾駅の並びにあるいわば「別館」の方である。これは鹿児島本線と筑豊本線の短絡線上にホームを設置したもので、この「別館」ができた十数年前より以前は筑豊本線から鹿児島本線に乗り入れる列車は折尾駅には停まらなかった。というか、ホームがなかったので停まろうにも停まれなかったのである。
JR九州も自動改札の導入を進めており、折尾駅「別館」にもちゃんと設置されていた。切符を買って改札を通る。頭上の電光掲示に「2両」の表示。JR九州では改札口上の電光掲示に編成両数も表示しており、ホームでの待ち場所の目安となっている。
2両なのでキハ200「赤い快速」を期待していたが、やって来たのはキハ66・67であった。キハ66・67はいわば気動車版117系(元「新快速」)である。とは言っても、登場はキハ66の方が先であるが。新幹線博多開業の際に、小倉及び博多から筑豊地区への連絡列車用として製造された近郊型気動車で、近郊型としては初の強力型エンジン(DML30系)搭載車で、また近郊型初の冷房車。そして、近郊型初の転換クロスシート装備車であった。66と67の2両1組で15編成30両が製造された。登場当時は国鉄急行色、現在は九州近郊色(白地に青)となっている。最近では、エンジンが換装されており、原エンジンでは力行時には車内で話ができないくらいうるさかったのが改善されている。また原エンジンでは、屋根上連結面側のラジエーターが外観上の大きな特徴となっていたが、エンジン換装とともに、撤去されている。
キハ66は順調に走る。昔ほどうるさくなくなった車内は騒ぐ者もなく、ひっそりとしていた。久しぶりの筑豊本線。沿線は、一層寂れているような気がした。産炭地は確実に、沈下している。一部は北九州や福岡といった大都市のベッドタウンとしてゆるやかにではあるが浮上しているとはいえ、基幹産業がなくなった痛手はそう簡単にはなくならないだろう。そんなことを考えながら、揺られていた。直方気動車区の横を抜け、12時03分直方着。直方駅は来月の自動改札化を控え、工事が行われていた。ポスターを見ると、桂川−原田間の客車列車がなくなると書いてあった。
直方到着後、駅の近くにある石炭記念館(クルマを止めた神社に隣接)を見学してから帰途についた。