福北ゆたか線〜筑豊本線・篠栗線電化の前と後

mk8426
(2001年9月10日・10月23日催行)
※文中編成表は右端が先頭車。下線が引いてあるのが乗車車輛。

前編(9月10日)

00.筑豊本線・篠栗線電化工事
mkは筑豊出身である。福岡県直方市、産炭地というよりは、産出した石炭の中間集約地と言った方がいい街である。この街で、小学校5年の春までを過ごしたのであるが、mk生誕のころは既に筑豊炭田は終焉を迎えていた。間もなく筑豊本線を走っていたSLも引退、筑豊は「石炭後」の底なしの泥沼へと沈んでいくことになった。
小学校のころよくあった、「筑豊の未来予想図」の類では、必ずと言っていいほど電化されて特急電車が走っている国鉄筑豊本線の絵があった。筑豊在住者にとって、まだ見ぬ「電車」は「発展した筑豊」の一つの象徴ともいえるものだった。当時、筑豊を走っていた「電車」は筑豊電鉄(熊西−直方)の、西鉄の路面電車と同じ形の車輛しかなかった。そんな、「路面電車」でも、国鉄のディーゼルカーとは違った、ちょっと進んだ雰囲気を味わうことができた。
このように書いてみると、筑豊は沈んでばかりのようだが、交通の面では、そうでもなかった。
まず、篠栗線の全線開通がもたらした、福岡とのつながり。難工事の末開通した篠栗トンネルは、筑豊と福岡の距離を劇的に短縮し、筑豊、特に飯塚地区は福岡市のベッドタウンとして発展していくことになった。特に国鉄末期〜JR発足後の篠栗線へのテコ入れはかなり大きく、このことが今日の電化へとつながっていることは疑いのない事実である。
当然、篠栗線の浮揚と競うように、西鉄は福岡−筑豊特急バスに力を入れる。高速バスではないのに、この路線の車両は西鉄の短距離高速バスと同一のもの、そして、車体側面の区間表記も「福岡−筑豊HIGHWAY BUS」である。この競争関係が、JR篠栗線の浮揚にさらに拍車をかけた。
そして、国鉄の近代化。50系客車「レッドトレイン」はまず筑豊本線に投入されたし、近郊型気動車キハ47系も比較的早期に投入された。なにより、山陽新幹線博多開業時に筑豊に投入されたキハ66・67形気動車は、そのハイグレードな車内設備と、普通列車用車輛としては初めての冷房付という、現在でも見劣りのしない車輛である。近郊型で転換クロスシート装備は国鉄ではキハ66・67が最初であり、この後117系電車が、そしてJR化後は様々な形式が爆発的に登場したことを考えると、筑豊は決して遅れてはいなかったと言えるのではないだろうか。この流れの先に、キハ200「赤い快速」があることは当然すぎる流れであろう。
確かに国鉄末期〜JR初期にはかなりのローカル線が姿を消した。しかし、そのことが今残された路線の発展につながっていると、今となっては思えるのである。
そして、今回の電化。これにより、篠栗・筑豊線の主役たちは、総入れ替えとなる。舞台を去る、これまでの主役たちに別れを告げるため、そして、新しい時代に入る両線をこの目で確認すべく、旅立つことにした。

01.プランニング
計画そのものは今年の春あたりには思いついていた。まあ、「電化される前に50系客車に乗っておかんとなー」という程度のものではあったが。
で、春が過ぎ、夏になり、本業はお盆の超繁忙期に。それまで全くと言っていいほど時刻表は開いていなかった(4月末の名古屋行きの飛行機と、それに伴う福岡空港アクセスの時刻を調べたくらいである)。
お盆も終わって一息ついたころにフッと「そう言えばあと一月半くらいか・・・」と思い出し、それから時刻表を開いたのであった。
開いたら開いたでびっくり。既に客車列車は2往復しかなかったのであった。それも、飯塚止まり。しかも、早朝と夕方。早朝はアクセスの関係上無理ということで、自動的に夕方の列車ということになる。いずれも下りで、1本は若松始発、もう1本は門司港始発である。始めは帰着の時間から早いほうの若松発にしようと思ったが、結局門司港発の方に決める。所要時間が長いのと、鹿児島本線上を走る鈍行客車も消滅するという思いが浮かんだからである。
また、電化はされないものの、それぞれ「原田線」「若松線」という愛称が付けられて運行系統が分離される(今でも充分分離されているが)原田−桂川間や折尾−若松間を含む筑豊本線を全線乗車しておきたかったことや、今まで筑豊−福岡間の主役だった「赤い快速」にも乗っておきたいなどといった感じで構想は膨らんでいき、結構壮大なプランが完成した。
このプランのキーワードは、「赤い快速」「若松線」「若戸渡船」「関門トンネル」「関門汽船」「50系」「原田線」である。

02.出発(たびだち)
実は、決行前夜までプランを固めるべくインターネットで時刻や運賃を調べ回っていた。路線バスや渡船などの時刻でも結構調べがつくので、ついつい深入りし過ぎてしまった。すべてが終わり、プランニングをプリントアウトして眠りについたのは2時過ぎだったのである。
ちなみに持っていくモノは、カメラ(Canon EOS650)・時刻表(綜合時間表)・携帯電話(J-SH07)・地図(昭文社ニューエスト福岡県都市地図)・MDウォークマン(SONY MZ-R30)・イラストロジック・新聞といった、「いつものモノ」である。ただし、当日が新聞休刊日だったため、持参した新聞は前日のものである。
さて、いよいよ当日の朝であるが、予定していた洗濯にとりかかったのが遅れ、家を出たのはバスの時刻まであと2分(ちなみにバス停までは徒歩5分)!出だしからこんなので大丈夫なのか!

03.プロローグは出遅れ気味
   ・西日本鉄道(バス)50系統船小屋行  上町バス停8:24発
    久留米22か・985 (久)8013 日野P-HT235BA 西工B-II (1985年式)
「やばい!」と思いながらバス停に急ぐ。時間帯が時間帯なだけに、久留米始発のバスは遅れ気味だとわかっているからこその行動であるが、それにしたっていつ到着するかなんて全くわからないわけで、でき得る限り早く着くのが肝心なのである。幸い、家を出て2分以内にバス路線の国道が見通せるようになるため、発車時間までにバスが来ていないことは確認できた。カメラを提げているため、小走りで急ぐ。国道交差点の横断歩道を渡り、上町(かんまち)バス停に到着。発車時間から2分遅れである。
じりじりと時間が過ぎていく。「やっぱりだめか」と思い始めた8時半過ぎ、ようやくバスが姿を見せた。実に7分遅れ。胸をなで下ろしながら、バスカードを通して乗車。
席に座り、息を整えること数分、バスはJR羽犬塚駅脇の西鉄バス発着所に到着した。バスカードを通し、下車。

04.博多へ向かう期待外れ
   ・2328M各駅停車博多行  羽犬塚8:45発
    415系1500番台4連 F-1521編成

1
クハ411
-1521
2
モハ414
-1521
3
モハ415
-1521
4
クハ411
-1621

自動券売機で博多までの乗車券を買い、キヨスクでフィルムを買うと資金が残り少なくなった。やることもないので改札をくぐり、跨線橋を渡って3番ホームへ。適当な場所の乗車口にカバンを置き、カメラにフィルムを詰める。それが終わると、カバンから新聞を出し、読み始めると、間もなく2328Mが到着した。
改札口頭上の発車時刻表示器に「4両」とあったので、多分811系か813系だろうと思っていたのだが、入ってきた車両を見てびっくり。なんと415系1500番台である。なんで博多までの1時間強をロングシートで過ごさなければならないんだろうと心のなかでぼやく。
ロングシートの一番端、ドアの脇を確保。さっそくヘッドフォンを付け、MDを聞きながら、新聞を読む。
久留米を過ぎたあたりから立客がでる。ロングシートなので当たり前か。鳥栖を過ぎたあたりから駅で待っている乗車客が増えてくる。博多に10時直前に到着するということは、いわゆる「買物列車」である。というわけで、女性客が比較的多い。あとは学生か。
県境(佐賀→福岡)を越える頃には新聞を読み終わり、イラストロジックに切換え。
二日市以降、乗車客はますます増加。車内は通勤時間帯の終わりがけのようになっている。これではロングシートもやむなしか。
南福岡で特急通過待ち。ドアが開いて間もなく「有明」10号が通過していく。わずか2〜3分停車で追い越しができるとは、ATSも進化したものだ。それとも1つの閉塞区間が短いのかな。
そんなことを考えているうちに、キハ40系が並ぶ博多運転区のある竹下を過ぎ、高架の上で一度信号停車してから博多駅6番ホームに到着した。

05.博多駅にて
さて、資金がすれすれの状態で出かけてきたので、ここで資金を補充しなければならない。mkは基本的に郵便貯金である。その最大の理由は、日本全国どこでも利用可ということとATMの手数料がいらないということ。小口の利用が多いため(1回に引き出すのが5000円とか)、手数料はバカにならないのだ。
博多駅周辺には何ヶ所か郵貯ATMが存在する。一番台数が多いのは当然博多口南側にある博多郵便局であるが、それよりも若干近い地下鉄博多駅コンコース内にもある。ここは、博多口側の、とある階段を下りてすぐの場所であるため、とりあえずここへ向かった。ところが・・・。階段を下りてみたら機械調整中だった。仕方なく、博多郵便局へ向かう。最初からこちらに行っていれば無駄な階段の上り下りがなかったのに・・・。
気を取り直し、博多郵便局で資金調達。旅を続けるべく、博多駅へ戻った。
自動券売機で若松までの乗車券を買う。運賃1080円。これは、鹿児島本線経由であろうが、筑豊本線経由であろうが、途中下車をしない限り同額である。国鉄時代、線区が錯綜する筑豊地区の運賃計算を簡略化するために導入された「近郊区間制度」により、経路が複数ある場合は最短距離で運賃計算をすることになっているからである。条件は2つ、前述の途中下車不可と、もう1つは経路が重複しないこと、つまり、「一筆書き」であることだ。ちなみにこの制度で博多から若松までの最長経路を作ると、博多−原田−新飯塚−田川後藤寺−西小倉−折尾−若松、となる。20年位前は博多−箱崎間の乗車券で1日乗り回れたものだが、線区の整理が進んだ今では半日がいいところである。
そんなことを考えながら、自動改札を抜け、ホームへ。

06.役目を終える筑豊浮揚の立役者「赤い快速」

   ・4624D〜6544D快速折尾行(篠栗・筑豊本線経由)(博多−新飯塚間快速)  博多10:30発
    キハ200系2連

1
キハ200
-4
2
キハ200
-1004

篠栗線専用の9番ホームへ。間もなく博多までの「赤い快速」が到着した。案内放送によるとこの列車の4連のうち吉塚寄りの2連が折尾行となるらしい。降車客が終わったところで乗り込む。先頭車の座席をキープし、写真撮影。今回はいつもの一眼レフ(Canon EOS650)に加えて、ケイタイ(J-SH07)のモバイルカメラもあるので結構忙しい。モバイルカメラで撮影した数枚はさっそくEメール添付で自宅のPCへ転送する。この方法を使えば、事実上撮影枚数は無限だが、メール送信の際の容量の関係から1枚ずつしか送ることができず、料金が怖い。ちなみに帰宅後、PCで見てみたら結構綺麗に撮れていた。なお、そのうち1枚を現在ケイタイの壁紙にしている。
さて、編成後方では切り離し作業が済み、回送となった2連は竹下側へ引き上げていった。いつの間にやらこちらも行先方向幕が「折尾」に変わっていて、発車の準備が整った。
定刻10時30分、ドアが閉まり、発車。キハ200のエンジン音が高まり、列車が動き出す。ゲーム「電車でGO!プロフェッショナル仕様」でもおなじみの前面展望で吉塚へ。と、篠栗線の方だけ既に高架の新線に移っており、見慣れない光景と共に、吉塚駅に到着した。
吉塚では博多行の各駅停車と交換。電化とともに悲願だった複線化は今回は見送られている。九州近郊色のキハ66と行き違い、真新しい高架区間に進入。吉塚・箱崎地区連続立体交差化の一環であるが、本体の鹿児島本線よりも先に篠栗線の方が供用開始というわけである。まあ、こちらはすぐに地上に下りてしまうのだが。
柚須(ゆす)・原町(はるまち)と通過し、長者原(ちょうじゃばる)へ。新しく交換設備ができていたりして、これからの発展が目に見えるようだ。プラットホームには、電化に合わせて嵩上げされたために気動車のステップより高くなってしまったことを注意する看板があちこちに見える。「電車ホーム」への移行が順調のようである。まあ、保線でバラスト足したらあっという間に軌条が高くなってしまうのだが。
門松(かどまつ)を通過し、篠栗(ささぐり)へ。当初はここまでを暫定的に電化しようかという意見もあったのだが、結局全線電化で落ち着いた。ちなみに部分電化の最大の理由は篠栗トンネル(城戸−九郎原間)の断面が小さいということであった。国鉄時代に比べると、博多−篠栗間は爆発的に増発されており、それが沿線の開発を促進したという側面もあった。今では篠栗までの沿線はすっかりひらけており、過去を知るものにとっては隔世の感がある。
篠栗で乗客の1/3くらいが降り、車内に余裕ができる。そして列車はいよいよ山の中へ。短いトンネルを抜け、高架上の筑前山手(ちくぜんやまて)を通過。高架の下は篠栗霊場の一帯となっている。城戸(きど)を通過し、いよいよ問題の篠栗トンネルへ。見たところ断面拡大工事も行われていないようだが、架線がしっかり張ってある。それも、福岡市営地下鉄のような剛体架線ではなく、通常の架線である。結構長いトンネル(確か九州内で第2位じゃなかったかな)を抜け、九郎原(くろうばる)・筑前大分(ちくぜんだいぶ)と通過し、桂川(けいせん)へ。
桂川駅は新しい駅舎の工事が急ピッチで進んでいた。駅前にはディスカウントスーパーもあり、なんだかひらけている。しかし、あと3週間で完成するのか?この駅舎。
工事中の桂川を後にし、天道(てんとう)を通過して、飯塚(いいづか)。ここは今夜、再訪することになる。そして、嘉麻川を渡り、快速区間が終わる新飯塚(しんいいづか)。ここでも乗客が入れ替わる。だいたいこのあたりが福岡都市圏と北九州都市圏の境界になるのだった。
新飯塚も真新しい橋上駅舎になっていた。ホームも見違えるように綺麗になっている。さらに、駅前には大きな立体駐車場が。博多駅で手に入れた817系近郊型電車のパンフによると、電化と同時にパークアンドライドを推進するためにいくつかの駅で駅前駐車場の整備が行われるとあり、その一つであることがわかる。ただこのパンフでは駐車台数が、飯塚駅230台、新飯塚駅80台となっているが、どう見ても逆だと思う。飯塚駅前にはそれっぽいものは見あたらなかったし。
ここからは各停になって、浦田(うらた)、鯰田(なまずた)と停車。再び嘉麻川を渡って小竹(こたけ)。小竹では試運転中の817系電車とすれ違う。こちらの乗客も新しい電車の姿を見ているようだ。あと一月足らずで選手交代を行うもの同士の交換風景であった。
草むした旧宮田線の築堤が寄ってきて、勝野(かつの)。そして、平成筑豊鉄道が寄ってきて、直方(のおがた)。ここで5分停車。旧直方機関区は完全に電車区へと生まれ変わっており、817系電車が出番を待っていた。
列車番号も変わって直方を発車。ふと横を見るとトラックが列車のすぐ脇を走っている。軌陸車と言って、道路と線路の両方を走れるようにしたクルマなのであった。現物が線路上を走っているのは初めて見た。
直方気動車区を眺めながら、新入(しんにゅう)へ。国鉄急行色に戻ったキハ66が休んでいた。そして、多分電化開業の暁には廃車となるであろう、色あせた車両たちも。
犬鳴川を渡り、筑前植木(ちくぜんうえき)。九州道と新幹線をくぐり、田んぼの中を走って、鞍手(くらて)。
鞍手駅は最初は筑豊本線にはなかった。もともとは室木線(遠賀川−室木)の駅だったのだが、室木線は国鉄末期の赤字ローカル線整理の一環で廃止されてしまった。そこで、鞍手町が国鉄にかけあい、筑豊本線に「新」鞍手駅が誕生したのであった。
淡々と田んぼの中を走り、筑前垣生(ちくぜんはぶ)。遠賀川を渡り、車窓が少しずつ住宅地に変わっていき、中間(なかま)。中間を出ると、昔、複々線だった頃に線路組替えの立体交差になっていた場所にさしかかる。筑豊側では上上下下の配列だったのを、折尾側では上下上下にするもので、上下の一方は若松へ、もう一方は短絡線を通って黒崎へと続いていた。今では複々線はなくなり、複線が折尾の手前まで続くのみ。若松方面と黒崎方面の分岐もポイントとなっており、組替え区間だった場所の筑豊側の端には東水巻(ひがしみずまき)という駅ができている。なお、「本家」水巻駅は鹿児島本線にあり、筑豊本線の東水巻とは結構離れている。
旧組替え線の草むした築堤を眺め、ちょっと谷間のようなところをゆっくりと走って、12時ちょうど、折尾駅1番線に到着した。
ちなみに、折尾駅本体側の筑豊本線(若松方面)は、2番線のみが電化されている。折尾折り返しの電車は必ず2番線に到着するということだろう。多分、鹿児島本線乗り換えを考慮してあるのではなかろうか。

07.折尾駅にて
折尾駅は立体交差である。上が鹿児島本線、下が筑豊本線となっている。結構各ホーム間のつながりがわかりにくく、迷う人も多い。さらに、国鉄末期に黒崎方面への短絡線上にもホームができており、筑豊本線と鹿児島本線の乗り換えには時間的余裕が必要となっている。各ホーム間のつながりを整理すると、以下のようになっている。
 1番(筑豊本線下り):改札(駅本屋)・階段1(3番へ)・通路〜階段2(4・5番へ)
 2番(筑豊本線上り):改札(裏口)・階段3(3番へ)・地下通路〜階段4(4・5番へ)
 3番(鹿児島本線下り):階段1(1番・改札口へ)・階段3(2番へ)
 4・5番(鹿児島本線上下・上り):階段4(地下通路〜2番・改札口へ)・階段2(通路〜1番・改札口へ)
 6・7番(短絡線上・下):駅本屋から駅前広場を挟んで約150m
折尾駅での乗り換えの際の参考にされたし。
若松行は2番から出るとのことで、まず3番ホームへ向かう階段を登る。頃合いもよく、腹も減ったので、3番ホームにある売店で折尾名物の駅弁「かしわめし」を買い求める。かしわとは、北部九州周辺の言葉で、鶏肉のことである。かしわのだしと醤油・砂糖で甘辛く炊きあげられたご飯の上に錦糸卵・刻み海苔・とりそぼろのストライプという、実に美味しい駅弁なのである。九州唯一の立ち売りもあるのだが、残念なことに3番ホームでは見かけなかったので、売店にて購入する。
かしわめしを片手に階段を下り、2番ホームへ。向かいに止まっているキハ200の写真を撮ったりしているうちに、若松行が到着した。

08.「若松線」は今

   ・6430D各駅停車若松行  折尾12:08発
    キハ47系2連

1
キハ47
1077
2
キハ47
125

ボックスを1つ占領し、さっそく「かしわめし」を開く。昔から変わらない味に舌鼓を打つ。実は最近味付けを若干変えたらしいのだが、そんなことは気にしない。包み紙の鉄道地図にスペースワールド駅が追加されているなどという、結構どうでもいいことに気付く。
「かしわめし」を食っている間に列車が発車した。電化から取り残されたこの区間だが、沿線は結構開発が進んでいる。北九州市八幡西区と若松区。この2つは実は北九州市の中でも元気な区なのである。そんな中をキハ47は走っていく。車内は下校の高校生が高割合。
結構長い駅間を走り、二島(ふたじま)。ここから奥洞海(おくどうかい)、藤ノ木(ふじのき)は駅間が短く、最後の若松まではまた長い。沿線は洞海湾の北側で、だんだんと寂しくなっていくが、終点若松が近づくと急速に開けてくる。昔、若松機関区があったところにそびえる近代的なマンション群を横目に見ながら、終点若松到着。留置線には50系客車が停まっていた。夕方までの時間待ちであろう。
若松駅は、自動改札になっていなかった。

09.変貌著しい若松
昔、mkの祖父は若松にあった貨車製造会社「若松車輛」に勤めており、幼い頃は何度となく祖父に連れてきてもらっていた。若松車輛へも行ったことがあり、製造中のヨ8000緩急車などを眺めた記憶は今でもおぼろげにではあるが、残っている。祖父の話によると、もっと昔は若松車輛から国鉄若松駅まで専用線が伸びていて、工場から直接若松駅へ納車されていたらしい。そして、若松駅で納車された貨車は早速全国へと走っていったそうである。古き良き時代の話である。

若松駅周辺はmkの子どもの頃からは想像もできないくらいに変貌していた。まず、若松駅の駅舎自体が変わっていた。昔の重厚な駅舎はなくなり、なんの味気もないプレハブのような駅舎である。また、駅の北側にあった小さな公園はなくなり、そこに静態保存してあった9600型SL、19633は駅の南側、マンション群の一角に新しくできた公園スペースに移っていた。
ここの公園でちょっと思い出して、仕事の電話。具体的には、特売商品の在庫確認と発注である。

 

公園の目の前は奥洞海。昔は駅から海までこんなに近いとは思えなかったが、機関区がなくなったらはっきりと実感できるようになっていた。その海沿いの道を渡船乗場へ向かって歩く。空は晴れ、赤い若戸大橋が映える。関門橋開通以前は「東洋一の吊り橋」と呼ばれた橋である。護岸と道は新しくてきれいだが、海とは反対側にはレトロな洋風建築が並ぶ。中小海運会社のオフィスであるが、建物が現役な分門司港より雰囲気がいいような気がする。意外と知られていないのではなかろうか。もったいない話だが、これでいいのかもしれないとも思う。
気ままに歩いて、若松渡場(わかまつわたしば)へ。隣には北九州市営バスの乗り場もあった(というか、バス乗り場の方がメインかも)。

 

10.気ままな船旅(?)

   ・北九州市交通局(若戸渡船)  若松渡場13:00発
   第十七わかと丸

 

若松渡場は若戸大橋の橋脚の真下近くにある。若戸大橋は、昔は車道の脇に歩道があり歩いて渡れたのだが、北九州都市高速の一部に組み込まれ、車道拡幅工事によって自動車専用橋となってしまった。橋台にエレベーターがあり、橋台間を歩いて渡っていた。高い場所なので、結構眺めもよかったのだが、今では味わえない。
しかし、橋の下には昔と変わらぬ渡船が運航している。十数年前には大人20円だった運賃は50円になっていたものの、割安感は変わらない。今時50円で乗れる公共交通機関なんて滅多にお目にかかれないぞ。
時刻表を見るとあまり待たずに乗れそうだ。まだ船が着いていないためか乗り場のゲートは閉じられていた。そのゲートの脇には、バスに搭載されているのと同じ形の両替機付きの運賃箱が設置されていた。財布を覗くと、幸か不幸か50円玉が入っていたので両替機は使用しなかった。
ほどなく戸畑からの船が着き、乗客が吐き出される。自転車を押す客の姿も見られたが、この渡船は自転車もOKなのである。
下船客が退いて、乗船口のゲートが開く。運賃箱に50円玉を投入し、桟橋へ。波に揺れる浮き桟橋から第十七わかと丸へ乗り込んだ。台風が接近しており、風が強く波も結構ある。とは言っても、所詮は内海、たかが知れているものである。現に欠航にはなっていないし。
まもなく汽笛が鳴り、昇降口にロープがかけられて出港。岸壁から離れ、戸畑へ向かう。若戸大橋の下をくぐるようにして戸畑へ。岸壁が近付き、接岸。戸畑渡場に到着し、短い船旅は終わった。

11.戸畑の裏と表
桟橋から待合所を通って外へ。こちらも若松同様若戸大橋の橋脚が間近にそびえている。渡場の目の前に西鉄バスの乗り場。ここは旧戸畑電停であるが、それを思わせるようなものは一見しただけでは見あたらなかった。
そんなバス乗り場を横目に見ながら、JR戸畑駅へ向かう。渡場からは駅北口へ大通りがまっすぐ伸びているのだが、この大通り沿いがこれまた見事に寂れている。戸畑自体はそんなに寂れているとは思えないのだがと思案しながら歩く。程なくしてJR戸畑駅に到着した。
駅舎が何年か前に建て替えられたのは知っていたが、すごく綺麗になっており、今まで見てきた町並みとは雲泥の差である。昔あった北口の改札口もなくなり、自由通路の入り口が口を開けていた。
その自由通路をくぐると目の前には戸畑の「表」が広がっていた。

12.こだわりの門司港行
   ・3638D快速門司港行  戸畑13:25発
    キハ66系2連

1
キハ66
7
2
キハ67
7

券売機で門司港までの乗車券を買う。ふと脇のKIOSKを覗くと「くろがね堅パン」がある。これはいわゆる乾パンなのであるが、只の乾パンではない。まず、その堅さ。拳で叩いた位では簡単に割れない。そして、味。噛めば噛むほど口中に広がるうまみ。「健康はアゴから」というコピーがついたこの堅パン、元々は官営八幡製鐵所が従業員のための健康食品として開発したもので、八幡の名物なのである。現在では、地元のスーパーや、福岡・北九州・筑豊地区のJR駅キヨスクでも売っている。日持ちもするし、なにより安価。こちらへ来た際には一ついかが。
「くろがね堅パン」を買い、改札を抜ける。無論、自動改札である。地下道を通ってホームへ。
ホームへ上がると、目の前に南口の光景が広がる。一番目立つのは駅前のスーパー「戸畑サティ」。駅前再開発の目玉である。再開発と言うくらいで、まだまだ工事中の場所も見受けられるのであった(この直後まさか「サティ」の大元「マイカル」が倒産するとは、この時は露ほども思っていなかった)。上り快速電車や下り特急電車をやり過ごすと、キハ66の門司港行快速が姿を現した。
さて、数ある鹿児島本線上り列車から何故この列車を選んだのか。それは、この列車が筑豊本線からの直通列車だからである。つまり、博多から原田までの区間ではなるべく電車を排除しようと思ったのである。当然、改正後はこの区間に気動車が走ることもないわけである。
そんな思いで選んだディーゼルカーに揺られる。エンジンのうなりも高く、一路小倉へ。快速なので九州工大前と西小倉には停車しない。
小倉で大半の乗客が降り、入れ替わる。ここからは各駅停車となって、終点門司港へ。東小倉の広大なヤードも貨車より線路の方が目立つ。そして、門司。長く、本数の多いホームだけが昔の栄光を物語っているようだ。門司を出ると、真ん中の2本が地下へ消えてゆく。関門トンネルである。少し走って、小森江。そして小森江を出て、門司港が近付くにつれ車窓はまたまた寂れてくる。閉鎖されたサッポロビールの工場を眺め、門司港の留置線群を抜け、列車はゆっくりと九州の鉄道創始の地、門司港へ到着した。キハ66の到着したホームの向かいにある電留線には、「福北ゆたか線」色に改められた813系電車が停まっていた。思わぬ新旧の競演であった。

13.関門海峡1周ミニツアー(笑)
   その1 門司港駅
門司港駅はレトロである。門司港レトロはこの駅に降り立った時から既に始まっているのだ。と、改札口を出てしまう前に、まず0哩標を眺める。ここが九州の鉄道の起点である。そして、その右手奥には関門連絡船乗り場への連絡地下道の遺構もある。今では入り口から少しのところで閉じられているのであるが、昔はここから連絡船乗り場へ直行できたそうである。
さて、改札を出ると、レトロの世界である(但し改札口は自動改札である)。なにせ、みどりの窓口の入り口に掲げられている額が「切符賣場」である。とりあえず、その窓口へ向かう。帰りの乗車券は距離が長いため、自動券売機では発券できないのだ。
窓口には先客がいたのだが、その先客(会社役員風?)が買っていたのが新幹線利用の通勤定期。確か3ヶ月で十何万とか・・・。さすが。で、こちらはそれを横目で見ながら、「羽犬塚まで。筑豊線経由でね」と注文。わざわざ「筑豊線経由」と言ったのは、この場合は福岡近郊区間が適用されない(鳥栖−羽犬塚間が飛び出し)ため、経路によって運賃が異なるからである。ちなみに、博多(鹿児島本線)経由よりも筑豊本線経由の方が安い。距離も100kmを超えるので、通用期限は発売日共2日間、無論途中下車前途有効(笑)である。
その後、ふと脇を見て存在を知った門司港レトロ入場券(絵はがきで、裏面の下の部分が入場券になっている)セットを購入し、表へ出た。
   その2 西日本鉄道(バス)4系統めかり行  門司港駅14:30発
         北九州22か24-19 (門)6595 日産デU-JM210GTN 西工スペースランナー (1991年式)
駅前に出て、西鉄バスの乗り場を探す。持参の地図によると駅前にあるように描かれていたのだが、駅前にはバス停のポールすらない。場所がわからないのできょろきょろしながら駅前広場を1周。ふと駅舎の左手奥を見ると、居ました、西鉄バス。早速そちらへ向かうと、見事、門司港駅バス乗り場があった。
待ち時間が若干有るので座って待つ。他の系統のバスが結構頻繁にやってくる。それらを眺めながら過ごすことしばし。乗車する4番系統のバスが乗り場へ進入してきた。レトロ塗装のバスである。それもそのはず、レトロ地区経由なのであった。
乗車すると、まもなく発車。レトロ地区を経由して、一路めかり方面へ。
少し登り、和布刈神社(めかりじんじゃ)の前を通って、めかり人道口バス停へ到着した。なお、地図や西鉄サイトの時刻表検索ではいずれも「関門トンネル人道口」がバス停名であったが、現地には「めかり人道口」と表記してあった。
バス停は関門橋の真下である。とりあえず吊り橋を見上げてみる。空には雲が広がってきていた。
   その3 関門海峡を歩いて渡る
mkはこれまで何度か関門海峡を渡ってきた。そのルートは、関門橋・関門国道トンネル・関門トンネル(在来線)・新関門トンネル(新幹線)・空路である。しかし、関門トンネル人道と海路は未経験であった。今回のプラン立案で、門司港で3時間半の待ち時間がとれるとわかった時点で、門司港観光ではなく、関門海峡1周を組み込んだのはそんな理由からだった。
バス停の前には何故か土産物屋があった(笑)。別に土産を買う理由はないのでそのまま通り過ぎる。
頭上には関門橋。ただ残念なことに、空は曇り。橋が白っぽいので、青空でないと映えない。
振り返ると、道の向かいの山の麓に建物がある。ここに人道トンネルへ降りるエレベータがある。歩行者は無料、自転車は(確か)30円となっており、徴収は下関側で行われるとのこと。
早速エレベータに乗り、地下へ。扉が開くと、一直線にトンネルが伸びていた。とりあえず一歩を踏み出す。壁の通気口からはクルマの走行音が聞こえる。とは言っても、排ガスが人道に流れてくるわけではないので、安心されたし。そして通路脇の排水溝には勢いよく流れる水の音。また、途中何ヶ所か、照明が少なくなって、天井部分に星座が輝いている部分もある。
トンネルはゆるい下り坂になっている。自転車が追い越していく。結構利用者がいる。ふと、ケイタイを見ると、アンテナは3本全て立っている。どうやら中継アンテナが設置されているようだ。
次第に傾斜がなくなっていったかと思うと、今度は登りになった。ちょっときつい。足に力を込め、ずんずんと歩く。歩いていくうちに、下関側のエレベータホールが見えてきた。と、前の方を歩いていた人が、エレベータホールで回れ右をすると、こちらへ向かって歩いてきた。どうやら、ウォーキングをしているようだ。なるほど、ここなら天気・気温は関係ない上に。無料で、しかも適度な傾斜がついているのでいいウォーキングコースになるわけだ。
感心して歩いているうちに、下関着。エレベータのボタンを押す。
地上に上がると、一気に汗が噴き出してきた。目の前には関門海峡が広がり、一瞬方位感覚がおかしかった。頭上には関門橋がそびえていた。
   その4 サンデン交通(バス)下関駅行
         山22う20-86 いすゞ キュービック中型
さて、次は唐戸へ向かわなければならない。ここからサンデン交通のバスがあることは調べがついたが、時刻や運賃はわからなかった。肝心のサンデン交通のサイトにそのようなコンテンツがなかったのである。まあ、時間はたっぷりあるし、最悪歩けない距離ではない(地図上で約1.5km)ということで、見切り発車したわけである。
エレベータから出て正面を見ると、サンデン交通バスが走っていた。それも、何台も。本数の面で心配はないと悟り、バス停へ向かう。もろに正面にそれはあった。狂った方向感覚を修正するため、考えを巡らす。正面が海。ということは、そちらが南。関門橋から見て唐戸は西。ということは、右へ向かわなければならない。そのバス停は道の向こう側である。ここまで考えて、ようやく行動を開始した(とは言っても実質1分前後ではあろうが)。
押しボタン信号機があったのでそちらへ向かう。先にいた人がボタンを押したため、待ち時間なしで渡ることができた。渡り終えると左へ。バス停のポールが目の前に立っている。時刻表を眺めるものの、系統や時刻を把握する前にバスがやって来た。経由地に「唐戸」の文字があったため、迷わず乗り込む。車内を見回し、最前部の席に座る。「お子さま専用席」と揶揄されるような席だが、実は昔の国鉄バスなどでは「子どもは座らせるな」と注意書きがされていた。事故の際に危険だからというのがその理由だったと思う。まあ、誰が何と言おうと、前面の眺望が大好きなので、空いていれば必ず座るmkであった。
二つほどバス停を過ぎ、案内放送が「唐戸」を告げたので降車ボタンを押し、運賃表を見て160円を用意した。間もなく唐戸着。運賃箱に160円を投入し、バスを降りた。
   その5 関門海峡汽船  唐戸港15:20発
         ふぇありぃII
予め調べておいた時刻表によると、関門海峡汽船の昼間の時間帯は20分おきの1時間3本体制である。次の便は15時20分だなと思いながら発着所の方へ向かうと、その手前にGEO(ファミコン&ビデオショップ)があることに気付き、ふらふらと入る。この時点でもう20分の便に乗り遅れてもいいなという考えになっていた(笑)。何か掘り出し物はないかなとゲーム関係を見て回る。ソフトにはめぼしいものはなかったが、オプション関係を見るとプレイステーション用の「マメコン」が中古で80円!これは買わない手はないということで、買う。マメコンとは、プレイステーション用ソフト「電車でGO!」シリーズ用専用コントローラの一種で、「マスコン(2ハンドルタイプ)」を標準コントローラサイズにしたものである。マスコンは当然持っているものの、ちょっとプレイするのにわざわざ用意するのが面倒でデュアルショックでやったこともあったが、やはり専用コントローラのほうがやりやすいのは当然。これで気軽にプレイできるぞと一人ほくそ笑んだのであった。
さて、待合室にある券売機で切符を買って桟橋へ。20分の便はあきらめていたのだが、どうも係員に存在を捕捉されていたらしく、船が待っていた。切符を係員に渡し、乗船するとすぐ扉が閉まり、出港。
若戸渡船と異なり、こちらは海上を走っているようだ。波しぶきを浴びながら、関門海峡をぶっ飛ばしていく。前面のガラスではワイパーが動いているが、次から次へと波しぶきがかかる。
関門橋とほぼ平行に走ること5分で、門司港着。バスで出発してから約1時間で関門海峡1周を終えたことになる。門司港の関門汽船発着所は、JR門司港駅のすぐ近くだった。

14.門司港の街
関門海峡1周のオプションツアー(笑)は終わったが、お目当ての列車までまだ2時間近くある。まあ、本屋さえあれば1時間くらいは軽くつぶせるmkであるから、門司港駅を通り過ぎ、商店街へ向かう。
まずはアーケード入り口の脇にある本屋へ。店内に入る。外観通り、あまり大きくない。ちなみに何の目的もなく(強いて言えば「暇つぶし目的」)書店に入ったときに見て回るのは、自動車雑誌・コンピュータ雑誌・ゲーム雑誌・鉄道雑誌・コミック・ティーンズノベルのコーナーである。この法則(笑)にしたがって店内を回る。特にめぼしいものはない。1周して、2〜3の本をパラパラとめくり、店の外へ出た。
本屋の脇からアーケードに入る。典型的なシャッター銀座であろう、2〜3軒に1つはシャッターの閉まっている店が並ぶ、そんなアーケードを歩く。歩いていると、また本屋があったので、入る。ここも、さっきの書店と同じく、狭い。しかし、さっきの書店は(本が)一応整理されていた(出版社別・シリーズ別など)のに比べ、ここはかなり雑である。とりあえず、雑誌のコーナーでカメラ雑誌の増刊号「オリンパス特集」を立ち読み。mkのマイカメラ第1号がオリンパスOM-10である。中学時代に所属していた写真部が異様にオリンパス比率が高かった(先輩がOM-10、同級生がOM-30など)のが機種選定理由の一つ。おかげでレンズやワインダー(モータードライブ)など、結構貸し借りできたのがよかった。ちなみに今使用しているのは前述のEOSであるが、OM-10も手放したわけではなく、実家の方で眠っている。
ここでも2〜3冊を立ち読みして、店を出る。ふと見ると向かい側に100円ショップ「ダイソー」があったので、入る。前に、同僚が持っていた先端差し替え式のドライバーが結構よさそうだったので置いてないかなと思って探したが、見あたらなかった。こういう店では全く同じ商品が再入荷する割合は一般の商店より低く、一度買い逃した商品を見つけるのは結構難しいのだ。
店内を1周して、外に出る。さらにアーケードを歩いていくと、またもや本屋発見。しかし、ここは一見「角のタバコ屋」で、何故か本も売っているという感じの店であった。本は、雑誌、しかも週刊誌がメインなのだが、なぜかコンピュータ雑誌やスポーツ雑誌もあり、それにコミックス、しかも、成人コミックスが多数置いてあるという、変な店だった。
この変な本屋の一区画先でアーケードはおしまいで、そこまで行って折り返し、今度は東側のちょっと大きな通りへと移った。ふと前方のビルを見ると、「サティ」の看板がある。こんなところにサティがあるのかと思って行ってみると、確かにサティがあったが、3階建てのちっぽけなスーパーであった。多分、昔から「ニチイ」として営業していたのだろうが、ワンフロアが150坪あるかないかという小さな店は今となっては閉店寸前の店舗に見える。駅前商店街の中にある、中規模のスーパーというのは、十数年前までは商店街の核店舗として隆盛を極めていたのであろうが、現在では郊外の主要道路沿いに広大な敷地を誇る複合出店型の、いわゆる「ハイパーセンター」タイプの超大型スーパーが主流であり、駅前のスーパーは閉店が相次いでいる。
16時台ということもあり、狭い店内は結構混んでいたものの、つい先ほど超大型店舗の戸畑サティを眺めてきただけに、なにか空しい気分だった。
サティを出て、少し歩くと、駅前からの通りに出た。そのまま駅の方へ向かう。こちらでも門司港の街を小さく1周したことになる。16時半をまわっていたこともあり、後は寄り道をせずにまっすぐ門司港駅へ向かった。

15.最後の客車鈍行

   ・2647レ各駅停車飯塚行  門司港17:21発
    50系客車5連+1

6
オハフ50
1282
5
オハフ50
1285
4
オハフ50
1288
3
オハフ50
1279
2
オハフ50
1287
1
スハフ12
112
DD51
848

門司港駅に戻ってきたのは発車の40分ほど前であった。とりあえず改札をくぐらずにKIOSKを覗く。職場の同僚に土産でも買っていこうかと思って見たが、あまりピンと来るものがない。まあ、この程度の旅行で土産というのもなんだかなぁと思い、夕刊とアイスだけを買う。
飯塚着が19時過ぎになるので、このあたりで軽く何か食べていこうかと思ったものの、特に食べたいものがあるわけでもなく、結局そのまま。
2647レが出る1番ホームには、先発の16時53分発日豊本線宇佐行の2539Mがいる。白に青帯の415系が定時に発車し、2647レ入線の用意が整ったのを見て、改札をくぐった。
間もなく、留置線に停まっていた50系+αの編成が出発。ゆっくりと視界から外れていき、見えなくなる。しばらくすると、バックで1番ホームへと進入してきた。一旦停車し、最前部のオハフ50から作業員が降りてくる。作業員が片手に持った無線機で一言、二言話すと、列車が再び動き出す。作業員は列車に合わせて歩いていき、無線機で運転士に指示を出している。そして列車が停車し、作業員は機関車の方へと歩いていった。
列車は入線したものの、まだドアが開かないので、とりあえず写真を撮る。しかし、柱が多くまともな写真が撮れない。1番ホームなので向かい側のホームから撮るというわけにもいかず、欲求不満が残った。
そのうち車掌がやってきて、ドアを開けた。迷うことなく機関車の次位にいるスハフ12に乗り込む。このスハフ12は、50系のトイレが垂れ流し式なので沿線事情で使用禁止になり、循環式トイレを提供するだけの目的で連結されているのだが、元「かいもん」「日南」用の車輛で車内はグリーン車用のリクライニングシートが並んでいるのだ。クロスシートとリクライニングシートを並べて置かれたら、リクライニングシートに座りたくなるのが人情というものであろう(笑)。かくして「50系に乗る」という目的は「筑豊本線の客車列車に乗る」というふうにトーンダウンしたのであった。
それはさておき、荷物でシートを確保して、後ろの50系の方へと移動する。50系とはいえ、九州にいる50系はすべて冷房改造されているので車内がサウナということはない。現に、このオハフ50 1287もボックス1つをつぶして設置された床上設置型のクーラーが作動し、さらに扇風機も回って車内は適温になっている。
そんな客室内を通り抜け、デッキにあるトイレの扉を見る。「便所」という表示の上に「業務用」のシールが貼られ、施錠されていた。なるほどと一人うなずき、もとのスハフ12へと戻る。
確保しておいた席に座り、リクライニングを半分ほど倒す。シートピッチはグリーン車そのものなのでフルに倒しても後席には迷惑はかからないが、とりあえずは夕刊を読むのでこのくらいで。KIOSKで買っておいた夕刊を広げ、読む。普段は朝刊しか読んでいないので(朝刊のみ購読)、実家に帰ったときや旅行しているときくらいしか夕刊は読まない。おかげで連載小説などはさっぱりではあるが、企画記事などは結構興味深い。
新聞を読んでいるうちに列車は発車。一路飯塚を目指す。客車列車特有の出足の鈍さでゆっくりと加速していく列車。客車なのでディーゼルカーと違って車内が静か・・・と言いたいところだが、床下で発電用エンジンがうなっているのがスハフ12の悲しいところ。
門司で下関からの243Mを先行させる。時刻表によると243Mの折尾着が18時04分、2647レは18時24分である。こちらはスペースワールド駅で特急通過待ちがあり7〜8分停まるとはいえ、門司から折尾までの24.6kmで電車と客車で実質十数分の差が出るというのがすごい。客車列車が敬遠されるわけである。ダイヤを組むのが面倒なのが目に見えるようだ。
小倉で仕事・学校帰りの客がどっと乗り込み、通路まで立客で埋まる。西小倉、九州工大前、戸畑、枝光と各駅に止まっては客を拾っていく。無論降りる客もいるのだが、圧倒的に乗車客の方が多い。筑豊から北九州へ通勤・通学している客が多いことが実感できる。
枝光から新線区間に入り、スペースワールドに停車。ここまで1面2線とか2面2線といった追い越し設備のない駅ばかりだったので、2面4線(だったと思う)のホームが広がるSW駅が大きく見える。ここで特急等通過待ちの長時間停車(7〜8分)ということで、ホームに降りて写真撮影をしている者もいる。mkは、目の前にある清涼飲料水の自販機に誘われ、缶入りのお茶を買う。新聞は既に読み終わり、窓の外を眺めながらお茶をちびりちびり。そのうちに、787系の特急が通過。時刻表によると、「きらめき」3号のようだ。その後、荒木行の快速電車にも先発され、ようやく発車。
新線から元に戻って八幡、そして黒崎と停車する。黒崎を出たあたりから疲れが出たのか眠くなり、シートをいっぱいに倒してうとうとする。前にも書いたが、シートピッチが広く、後席に気兼ねなく背もたれを倒せるのがありがたい。
20分ほど眠っていたらしく、気付くと鞍手駅到着前だった。ちょっとすっきりして背もたれを半分ほど戻す。暗くなった窓の外をぼんやりと眺める。列車は淡々と走っていく。見回すと、車内はだいぶ空いている。ここまでの駅で三々五々降車していったようだ。
前側の貫通扉の窓からDD51の赤いボンネットが揺れているのが見える。田んぼばかりの闇の中、列車は走っていく。発電エンジンのエキゾーストとジョイント音がミックスされ、ちょっと聞きには客車とは思えない走行音ではある。
筑前植木、新入と停車。パラパラと降車していく。直方気動車区の脇を抜け、駅構内に新型電車817系が集結している直方着。昼間見たときは普通の電車区といった趣だったが、夜見ると明かりがほとんど点いていない(但し信号関係は完璧に点灯)こともあって、違和感満点である。
闇の中を走る客車。車輛が車輛なだけあって、まるで往年の急行「かいもん」にでも乗っているような雰囲気。勝野・小竹・鯰田・浦田と停車し、そのたびに乗客がパラパラと降りていく。車内が寂しくなり、ますます夜汽車の雰囲気。
新飯塚で大半の乗客が降りる。飯塚市の事実上の中心駅が新飯塚になって久しいが、それを実感する一幕である。この、飯塚と新飯塚の関係は、鹿児島と西鹿児島のそれと、とてもよく似ている。
明るい新飯塚駅を後にし、終点飯塚へ。床下でうなっていた発電エンジンが止まり、同時にクーラーも止まった。急に車内に静寂が訪れる。ジョイント音だけになった列車は、ゆっくりと薄暗い飯塚駅へ滑り込んだ。

16.沈滞の飯塚
途中下車ができる乗車券を最大限に活用すべく、改札を出る。夕食を食べるor仕入れるのが目的である。が、駅前に出た瞬間に飯塚で夕食という考えが甘かったことを実感した。開いている店がほとんどないのである。駅前の通りは街灯が寂しく灯るばかり。無論駅のKIOSKも既に閉まっていた。さっと見た範囲で営業しているのは駅前広場に面したラーメン屋と和菓子舗、そして駅舎の片隅に入っている唐揚&弁当屋くらい。駅前のラーメン屋は今ひとつ入る気になれず、唐揚&弁当屋も既にほとんど売れてしまっている模様。
少し歩いて県道まで出ればコンビニかほか弁でもあるのではないかと思って駅前の通りをまっすぐ歩いていく。果たせるかな、県道に出るまでもなくセブンイレブンを発見、夕食と缶ビールを仕入れた。弁当などを暖めてもらい、店を出るともう待ち時間が余り残っていなかったので駅に戻る。
明るい新飯塚とは対照的な飯塚の駅前であった。しかし、コンビニは本当にどこにでもあるねぇ。

17.アクセス列車(笑)
   ・2663D各駅停車博多行(篠栗線経由)  飯塚19:44発
    キハ66系2連

2
キハ67
8
1
キハ66
8

改札を抜け、跨線橋を渡ってさっき降りた2番ホームへ。もう少し時間があるので傍らの自販機でウーロン茶を買い、ベンチに座っておにぎりを食べる。ビールは後のお楽しみである(笑)。
1番線に上りの列車が、2番線に下りの列車が入ってくる。どちらもキハ66・67の各駅停車である。乗車し、座ってふと思う。旧国鉄型車輛の車内はJR型車輛に比べて照明が暗いような気がする。気のせいかも知れない。でも、ふとそんなことを思った。
そんなことを思っているうちに天道を過ぎ、列車は桂川に到着した。この列車、全くもってアクセスのためだけの列車であった。ドアが開き、工事現場の片隅のような桂川駅に降りた。

18.桂川駅は工事中
原田への6633Dはまだ着いていない。時刻表を見ると折り返しの原田からの列車の到着は20:05。まだ10分ほどある。改めて時刻表を見ると、桂川での折り返し時間はいずれも10分前後で、あまり桂川にとどまっていないことがわかる。
そんなこんなで、「桂川停車中に夕食を食べよう」という考えは崩れ去ってしまった。仕方がないのでベンチに座り、ビールを開ける。趣も何もない(というか、単なるコンビニ弁当だし・・・)食事を掻き込む。
昼間は駅舎の工事の方に目が行ったが、改めて降りてみるとホームも工事現場であった。本当に開業日(10/6)までに完成するのか、再び心配になってきた。
弁当を半分ほど平らげた時に、原田方よりヘッドライトが近付いてきた。折り返し6633Dになる、6632Dであった。待ちかねた列車は、キハ125の単行ワンマン列車だった。

19.「原田線」の今

   ・6633D各駅停車原田行  桂川20:15発
    キハ125系1連

1
キハ125
-21

黄色い気動車のドアが開く。原田からの乗客が降りるのを待って乗り込む。実は、キハ125に乗るのは初めてである。久大本線などは急行か特急にしか乗ったことがなく、これまでキハ125に乗る機会がなかったのだ。
初乗車のドキドキワクワクとともに車内へ。ローカル用としては十分な車内設備であろうか。唯一、座席の幅が狭いのが欠点かな。国鉄型ボックスシートよりも狭いような気がしたのだが。
ドアの脇には整理券発行機、その奥には自動両替機付運賃箱。頭上には電光式の運賃表。このあたりの設備はまるっきりバスそのもの。運転席にはバスのようなドアスイッチ(大きなトグルスイッチ。一般的な鉄道車輛のドアスイッチはボタン式)があり、ワンマン時はこれでドア開閉をすることがわかる。
テープの案内放送が「整理券をお取り下さい」と繰り返す。バスだと1回しか流れないこの放送が3回ほど繰り返されるのは、はっきり言ってうざったい。まあ、「鉄道の乗車時に整理券を取る」という行動があまり一般的ではない(第3セクター等、一部の鉄道を除く)ので、致し方ないとは思うが。
その間に運転士が原田側の運転台に荷物を移動させ、ブレーキハンドルを差し込む。そしてブレーキテストの後、ホームに降りるときつそうに背筋を伸ばしていた。
時間が来て、運転士が乗り込む。数人の客を乗せ、ドアが閉まり、発車。
暗闇の向こうをライトが一直線に照らす。単線の線路は上り坂の連続。しかし、そんな坂道をものともせずに登っていくキハ125。昔の気動車に比べると今の気動車はパワフルだなぁと実感する瞬間である。上穂波(かみほなみ)、筑前内野(ちくぜんうちの)と停車し、暗闇の中に1人、また1人と降ろしていく。
勾配がさらに急になり、トンネルに突入。冷水トンネルである。結構長いトンネルで、確かJR九州第3位の長さだったと思う。そのトンネルの中で勾配がだんだん小さくなり、今度は下りに。さっきまで思い切りうなっていたエンジン音が静かになり、軽やかなジョイント音が響く。
下り坂になってもしばらくはトンネルが続く。ようやくトンネルを抜け(と言っても外も真っ暗だが)、さらに駆け下りて、少しひらけてきたなというところで筑前山家(ちくぜんやまえ)。そして西鉄天神大牟田線や国道3号線バイパスと交差し、新興住宅地の間を抜けて原田着。筑豊本線の指定席とも言える、0番ホームに到着した。

20.原田駅前はまるで新駅
十数年前、「近郊区間の大回り乗車」(いわゆる「140円旅行」)でこの駅に来たときは、文字通り「山の中の分岐駅」で、駅前も寂しく、駅以外には何にもなかったような印象を抱いた。鹿児島本線は普通列車のみ、筑豊本線は1日7往復。通過列車はその倍以上あるような、そんな駅だった。
何年か前から、駅周辺に住宅地が造成され始めたが、「こんな山の中(本当はそんなことはないが)に住宅地作って、売れるのか?」という感じで見ていた。気が付くと、駅前まで再開発で立派な駅前広場ができ、駅舎は建て替わり、鹿児島本線の昼間(11〜18時台)の快速が停車するようになっていた。変わらないのは筑豊本線の1日7往復だけのようだ(これにしたって車輛は様変わりしているが)。
新しい駅舎の自動改札・・・の脇を抜ける。途中下車する時は自動改札ではダメだと言われたからだ(飯塚駅で)。再入場の際もダメらしい。西鉄天神大牟田線だと再入場の際は自動改札でいいのだが。
駅前に出る。立派な駅前広場ができている。植木などもまだ大きくなっておらず、まるで新設駅の駅前のようだ。広場のロータリーには、家族などを待っているとおぼしき自家用車が数台止まっている。
そのロータリーの向こうにコンビニがあった。駅のKIOSKは既に閉まっているのでこれはありがたい。せっかくの印発発行の乗車券をコピーしておこうと思い、そのコンビニへ向かう。ところが・・・。
コピー機がエラーサインを出して止まっていた。店員を呼んで直してもらおうとしたが、時間がかかりすぎ、結局アウト。駅へ戻る。

21.ラストランナー(?)
   ・247M各駅停車羽犬塚行  原田21:07発
    415系4連 F-6編成

4
クハ411
-331
3
モハ415
-16
2
モハ414
-16
1
クハ411
-332

自動改札の脇を通り、2番ホームへ。改札口に駅員がいないと思ったらホームでゴミ箱の回収作業をしていた。
ヘッドライトが高めの位置に付いた電車が入線してくる。白に青帯の415系である。421・423系は811・813系の増備によって淘汰され、九州北部に残る国鉄型近郊電車は415系のみになっている。その415系も最近は更新改造が施工された車輛が増えている。方向幕の設置(これは更新改造ではない)や一部窓の固定化はいいとして、みんなロングシート化してしまうのはやめてくれ。そりゃ福岡近郊ならいいかも知れないが、羽犬塚なんかで博多行待っててこれが来たら旅行そのものをやめたくなる。
ご多分に漏れず、この415系も更新改造施工済であった。辛うじて空いていたトイレ前のクロスシートに座る。昔からロングシート車でもトイレ前だけはクロスシートであり、そういう地理的要因(笑)を除けば穴場と言えるであろう。
外は暗闇なのでMDを聞きながらイラストロジック。あとは羽犬塚まで一直線〜と思いつつ、揺られることしばし。
無為に揺られているうちによこしまな考えが浮かんできた。確か羽犬塚駅前21:42という久留米行き西鉄バスがあったはず。折しも、「久留米では特急待ちのため5分停車します」という放送が。急いで時刻表を繰ると、追い越す「有明」47号の羽犬塚着が21:40ではないか。あわてて荷物をまとめると、久留米到着と同時に飛び出したのであった。

22.突然の乱心(笑)
   ・1047M特急「有明」47号水俣行  久留米21:33発
    787系6連 ?編成

6
クモハ786
-?
5
モハ787
-?
4
サハシ787
-?
3
サハ787
-?
2
モハ786
-?
1
クモロ787
-?

階段を上って降りて1番ホームへ。メタリックな787系の6連(「つばめ」編成)が入線。4号車のドアから乗って5号車へ。幸いデッキドア間近の席が1つ空いていたので座る。
編成全体の番号を調べるのは無理だろうから、せめてこの車輛のだけでもと思って壁を見上げたが、残念ながら目の前の壁には形式プレートが付いていなかった。そういうわけで、この編成に関しては完全に不明である。
荒木、西牟田をぶっちぎりで通過し、あっという間に羽犬塚。改札口で乗車券と300円を渡し、駅前右手の西鉄バス発着所へ走った。

23.脱力(エピローグ?)
ところが・・・。時刻表を見るとそんなバスはない。そういえば、今日ダイヤ改正であった。つまり、無くなったバスのために無駄なことをしてしまったのであった。
一気に疲れが噴き出し、20分間待つのがいやになって、そのままタクシー乗り場からタクシーで帰った。

 

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